神社の歴史

当社は日思山の山上に建立され、聖武天皇の御時(七二四年~七四九年)御社の東に宮司の坊(浄福寺)を建立。

以後延文年中(一三五六年~一三六一年)まで筑前、豊前両国の衆民により祭られていた。しかし山上であるため参詣に不便なことから延文年中、本社三女神を筑前国鹿毛馬村へ遷し奉り天照皇大神を豊前国神崎村に遷し、共に両村の産土神として祀られる。その後山上の社殿は野火の為焼亡したがその礎石は今も現存している。永正元年(一五〇四年)神殿並びに社屋を再建。(大願主清原兼通敬白の棟札有り)村人百六十六名と共に祭事を執り行っている。(文亀三年の宮座帳より)明治三十二年(一八九九年)縣社に昇格。

嘉穂郡誌には「郡内唯一の縣社にして社地は広大ならざるも、高燥にして清浄なり」と記されている。
昭和七年(一九三二年)神殿、幣殿、拝殿を再建し、現在に至る。

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